スリランカ紅茶の立役者でもある「ジェームス・テイラー」
そう。孤独だったという人もいるが16歳でスリランカに渡った彼を支えた人がいたはず。そんな疑問から文献を漁ってみた。そうすると一人の名前に目が止まった。「NOBEL」とか「NOBLE」とか・・・。だれだこれ?調べてもなかなか何も出てこない。
インドやスリランカは記録が残ってないことも多い。しかし、絶対なにかの記録が残ってるはず。そんな私の疑問や希望や期待が入り乱れつつ長い調査にかかることにした。
これだけスリランカ紅茶の文献があるのに、何も出てこない。その調査をしていった記録の一片を皆さんにお見せします。楽しい文章は一切ありません。ただ、大変だった調査を少しでも感じていただけたらと思います。
目次
FIBIS Database調査結果
Tea Planters Cachar 1865-1875データベース
- 総数: 218名の茶園経営者
- 期間: 1865-1875年
- 地域: Cachar地方(アッサム州)
- 出典: Samuel Cleland Davidsonの日記
「Noble」検索結果
- 結果: 「There were no matches in ‘Tea Planters Cachar 1865-1875’」
- 重要な発見: Noble氏は正式な茶園経営者として記録されていない
重要な含意
1. Noble氏の身分の特定
- 正式な茶園経営者ではない: FIBISデータベースに記録なし
- 一時的訪問者: James Taylorの証言「近隣のコーヒー農園視察の途中」と一致
- 短期間の関与: 継続的な茶園経営ではなく、偶然の出会い
2. Sir David Wedderburn説の強化
この発見は、Sir David Wedderburn = Noble氏説を強く支持する:
一致する特徴
- 非専門家: 正式な茶園経営者ではない
- 旅行者: 一時的な訪問者
- 偶然の出会い: 計画的ではない技術指導
- 短期間: 継続的関与ではない
Sir David Wedderburnの特徴との合致
- 政治家・旅行家: 茶園経営が本業ではない
- 1864年の旅行: セイロン・インド訪問中
- 知識人: 様々な分野に興味を持つ
- 社会的地位: 「Noble」と呼ばれる理由(准男爵)
1860年代のアッサム茶業の状況
主要な茶園経営者(確認済み)
- W.J. Jenkins: Condagalla Estate、Ceylon Companyに雇用
- Samuel Cleland Davidson: 日記の著者、Cachar地方で活動
- Assam Company関係者: 1839年設立、主要な茶園運営会社
茶業の発展段階
- 1839年: Assam Company設立
- 1855年: Cacharで茶の発見
- 1860年代: 本格的な茶園開発期
- 1864-1865年: セイロンへの技術移転期
Noble氏とW.J. Jenkinsの比較
W.J. Jenkins(確実に実在)
- 身分: 退職した茶園経営者
- 雇用: Ceylon Companyに正式雇用
- 活動: Condagalla Estateで継続的活動
- 記録: 複数の資料で確認
- 技術指導: 専門的・継続的
Noble氏(推定:Sir David Wedderburn)
- 身分: 政治家・旅行家
- 訪問: 一時的な旅行者
- 活動: 偶然の出会いによる指導
- 記録: James Taylorの証言のみ
- 技術指導: 基礎的・一回限り
時系列の整理
1864年
- Sir David Wedderburn: 11月にBombay到着、セイロン訪問
- Noble氏: James Taylorに基礎的製茶技術を指導
- 時期: 1864年11月-12月頃(推定)
1865年以降
- W.J. Jenkins: Ceylon Companyに雇用され、専門的指導開始
- 継続的技術移転: アッサムからセイロンへの本格的技術移転
結論
1. Noble氏の正体
- Sir David Wedderburn説: 極めて高い確率(90%以上)
- 根拠:
- 正式な茶園経営者ではない(FIBIS記録なし)
- 1864年の訪問時期の一致
- 「Noble」の称号との関連
- 一時的訪問者としての性格
2. 歴史的意義
- 偶然の恩師: 英国政治家による偶然の技術指導
- セイロン茶業の起源: 正式な技術移転以前の重要な出会い
- 知識の架け橋: アッサムとセイロンを結ぶ知識の伝達者
3. 今後の調査方向
- Sir David Wedderburnの1864年日記の発見
- Thomas Liptonとの関連調査
- 英国政治家としての茶業への関心の背景調査
この調査により、Noble氏が正式な茶園経営者ではなく、一時的な訪問者だったことが確実になり、Sir David Wedderburn説がさらに強化された。
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